激しい市場競争にさらされ、アサヒビールのシェアは低下していった。

アサヒビール本社

現在、本社ビルが建っている土地は、かつて同社の「吾妻橋工場」があった場所で。

吾妻橋工場の歴史は長く、1900年(明治33年)に土地を購入して工場を建てたことが始まりだという。

1924年(大正13年)夏には、敷地の一角に数寄屋風のビアホールを建て、近隣の人たちでにぎわっていた。

 そんな吾妻橋工場も、会社の業績悪化とともに苦境に陥っていく。

高度成長期を経て、激しい市場競争にさらされ、アサヒビールのシェアは低下していった、1980年代に入ると資産整理を余儀なくされ、吾妻橋工場の土地は売却対象になった。

現在は本社が建っている場所にあった吾妻橋工場(1955年)。敷地内にはビアホールもあった、 その苦境を救ったのが、現在に続く看板商品「アサヒスーパードライ」だ、1987年に発売したこの商品が会社を変えた、

その前年に発売した「アサヒ生ビール」に続いて、“キレ”のあるすっきりとした味わいのアサヒスーパードライが大ヒット、会社を取り巻く状況は一気に変わった、 会社の業績が回復したことによって、87年10月、売却した旧吾妻橋工場の跡地の一部を住宅・都市整備公団から買い戻すことができた、

そしてその場所に、創業100周年事業として新しいビルを建設することが決まった、

つまり、スーパードライがヒットしたからこそ、あのビルは誕生したのだ。

 

国内外から多くの観光客が訪れる東京・浅草。その周辺から、ゆったりと流れる隅田川に目を向けると、対岸には東京スカイツリーが見える。

そして、よく目立つビルが目に飛び込んでくる。

ビールジョッキをイメージさせるアサヒグループ本社ビルと、巨大なオブジェが載ったホール棟だ。

 隅田川のほとり、吾妻橋の東側にそびえたつビルが完成したのは1989年11月、それから30年、ランドマークとしてたくさんの人の目を楽しませてきた。

2012年には東京スカイツリーが開業。吾妻橋には、アサヒのビルとスカイツリーを一緒に写真に収めようと、カメラを構える人の姿が絶えない。なぜこのような建物ができたのか。

その背景や位置付けについて、イメージした外観のアサヒグループ本社ビル。

その特徴的な色の正体は、琥珀色のハーフミラーガラスだ、外から見ると金色だが、ビルの中からは普通のガラス窓のように外が見える、レストランになっている21階と22階だけは白い外装で、もこもことしたビールの泡を表している,ビルの高さは100メートル。なぜ100メートルなのかというと、このビルがアサヒビールの創業100周年を記念して、建てられたものだからだ。

金色の特徴的なオブジェは「フラムドール(金の炎)」といい、「新世紀に向かって飛躍するアサヒビールの燃える心の炎」を表現している、オブジェの長さは約44メートルで、360トンもの鋼材を使用している。

オブジェが載っている4階建てのホール棟は「聖火台」を模しているという。

内装も含めて、フランスのデザイナー、フィリップ・スタルク氏が建物全体をデザインした。 

旧吾妻橋工場の跡地に建てられたのは、この2つのビルだけではない。本社ビル建設は、アサヒビール、墨田区、住宅・都市整備公団が一体となって進めた再開発プロジェクト「リバーピア吾妻橋」の一環という、位置付けだった、本社ビルの隣に墨田区庁舎と高層マンションが建っているのはそのためだ。 

当時の資料を見ると、山の手文化に対する位置付けとして、

「“川の手文化”の拠点になる」という表現があった。